雑居ビルの狭い階段を上がり、木製のドアをあけるとそこには・・・。
乙仲通りはそんな冒険心をかきたてる街です。昔にタイムスリップしたかの様なレトロな町並みに、オシャレでかわいい店が立ち並び初めて来たのにどこか懐かしさを感じられる街、それが神戸栄町「乙仲通(おつなかどおり)」なのです。

「乙仲」とは海運貨物取扱業者のことで海外から荷物を積んだ船が来た際に貿易手続きや積み下ろし業務などを企業に代わって行う業者です。戦前の海運組合法で定期貨物を取り扱う「乙種仲立業」(略して乙仲)、不定期貨物を取り扱う「甲種仲立業」(甲仲)や丙仲に分類されていましたが1947年に部類は廃止されました。そして海運業者を今でも乙仲さんと呼ぶ方も多いそうです。そのことから乙仲さんが多く集まっていた南京町の南、栄町通と海岸通の間にある東西約800メートルの通りを「乙仲通」として平成20年に神戸市の道路の愛称に認定されました。

昭和45年の神戸港 ©Kobe City

神戸は古くは平安時代より海外貿易の拠点として賑わい、1970年代はコンテナの取り扱い量が世界一になるなど神戸港は世界有数の港として栄えました。上の写真は昭和45年の神戸港で大小たくさんの船が見え賑わいが感じられます。当時の乙仲通りは世界各国の船員や貿易業者の人が集まり外国人向けのバーも多くありとてもグローバルな街でした。乙仲通りをセーラー服を着た外国の船員たちが歩いたと思うとワクワクしますね。乙仲通りには貿易会社、保険業者が集まりビルには喫茶店や床屋を併設した場所も多くありました。この地域の喫茶店の多さは神戸でも有数で、お昼時には喫茶店に出前持ち専門の従業員も何人か待機していたそうです。ヘアーサロン石田さんは昭和22年にこの地に移転、現在の建物は昭和47年に建てられました。創業100年を越えたお食事処の㐂八さんや関東大震災を教訓に耐震建築を施し阪神淡路大震災を耐えた昭和10年に建てられた昭和ビルなど今もその当時の面影を残す理容室、飲食店、喫茶店や建物が乙仲通には残っています。


また乙仲通りの北側、栄町通には明治時代に多くの金融業、保険業などの大きなビルが立ち並び「東洋のウォール街」と呼ばれ神戸、日本の経済の拠点として栄えていました。今は震災で多くのビルは失われてしまいましたが近代建築の美しい建物が並んだ栄町通の街並みを、当時東洋一とうたわれた市電(路面電車)がビルの谷間を抜け栄町通を走っていたとはなんとも風情があったことでしょうね。昔は銀座をぶらぶら歩く「銀ブラ」にちなみ元町を歩く「元ブラ」という言葉も生まれたそうです。海外の文化が交差するハイカラな神戸の街の繁栄が伺い知れるエピソードです。

昭和45年の神戸市電 ©Kobe City

ところが摩耶埠頭、ポートアイランド、六甲アイランドなどの港の開発で多く会社、事務所が移転、そして阪神淡路大震災の影響で栄町、海岸通の多くの建物は倒壊し乙仲通りは徐々に過去の賑わいを失い、ビルには空き室が増えてきました。そして20年ほど前よりその空き室となった事務所、倉庫などを新たにリノベーションし衣料店、雑貨店やカフェなど個性的なお店が次々とオープンし乙仲通りは海運業者の街から商いの街へと変化していきます。
その昔ながらのビルの雰囲気は若い人には懐かしさを感じながらもとても新鮮です。商業施設ではなかなか見ることができない店主こだわりの商品、食べ物、そして独特のレトロな空間がとても魅力です。あなたの「欲しい」はきっと乙仲通りで見つかると思います。インスタ映えのフォトスポット、建築物もたくさんあります。ぜひカメラ片手に散策しにいらしてください。


ACCESS
乙仲通りは神戸中央部の南側、三宮の西隣の駅、阪神電鉄、JR,地下鉄「元町」駅が便利です。中華街のある南京町からは栄町通を越えた南側に位置しています。昔は外国人の住まいがあった「旧居留地」から西のエリアに位置しています。南はメリケンパーク、阪神高速の高価を超えればすぐそこは海です。
乙仲通りの東は大丸神戸店の西側の鯉川筋、セブンイレブン神戸栄町通3丁目店がある場所からロータリーを越え西は神戸中央郵便局の南までの範囲です。また乙仲通の北側、栄町通との間には乙仲北通、また南北の筋にも素敵なお店がたくさんございます。

昔の乙仲通周辺の写真やエピソードがございましたらお知らせいただけますと助かります。mitekobe 渡辺